第二部 第1話【ショウちゃんとの会話は深夜まで】 | |
[ハラベエさんの犬星☆猫星(第二部)] | |
2012年4月26日 16時21分の記事 | |
ハラベエさんの犬星☆猫星 =BEEとハラベエの愛の物語= 作・原 兵 衛 第二部 第1話【ショウちゃんとの会話は深夜まで】 UPしました(*´∀`*)ノ
ハラベエさんの犬星☆猫星の第一部〜三部の リンクを作りました。 使ってくださいね(*´∀`*)ノ♪ ☆【第0部】【1P】 ☆【第一部】【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】【8P】【9P】【10P】【11P】【12P】 ☆【第二部】【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】【8P】【9P】【10P】【11P】【12P】【13P】 ☆【第三部】 【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】【8P】 ハラベエさんの犬星☆猫星 =BEEとハラベエの愛の物語= 作・原 兵 衛 第二部 第1話【ショウちゃんとの会話は深夜まで】 残照の公園のベンチで始まった宇宙に関するショウちゃんのレクチャーは、延々深夜に及びました。 人通りもまばらな夜の公園に、一台の自転車が近付いてきました、Eちゃんです。夕食を告げにきたときは、ショウちゃんとハラベエさんの、一見爆睡状態に見えるほどの集中ぶりに遠慮して、声をかけるのをためらったEちゃんでしたが……ハラベエさんの携帯に何回かけても応答がないから、本人に至急連絡してくれと、自宅の電話にかかった大事な用件ですので、今度は思い切ってハラベエさんの肩を揺すって起こしたのは、既に深更……辺りは月の光に満ち、街は眠りの世界に入りつつありました。 その頃には、長いながいショウちゃんの話も、どうやら一段落つきかけていたのでしょう、あっさり後日を約束してショウちゃんは去っていきました。 ハラベエさんも、いちばん知りたかったBEEの消息について訊けなかったのは心残りでしたが、またの楽しみ……にすることにしました。翌朝、ハラベエさんは東京に向かい、仕事に専念する日々を送ることになり、ショウちゃんとの再会は先延ばしになりました。 ハラベエさんが1970年大阪万博の年に入居したマンションが千里丘陵の一角にあります。 晴れた日は大阪平野や生駒のやまなみを一望出来る高台にあり、夏の夜など、大阪の水都祭や藤井寺辺りにある宗教団体が催す花火大会を眺められ、千里中央の駅まで数分という立地条件が気に入って、一年に一月ほども帰らないのに自宅として保有していました。 豊中と吹田の両市にかけて拡がる丘陵地帯を、大阪のベッドタウンとして開発を重ね、高層住宅が林立している千里ニュウタウンですが、野趣豊かな竹林や雑木林も都市計画の一環に取り入れられていい町作りがすすめられています。 入居当初は勿論、東京での歩きが体調にいいと信じているハラベエさんは、千里に帰ると毎日のように歩きに出ました。 コースは多彩でした。 歩く距離は約10キロ、万歩計を頼りに過ごした日々。 日替わりのコースをあれこれ組み合わせを替えて、ほぼ千里の全域を踏破した頃には、いくつかのお気に入りコースがきまりました。 その選択にはには大きな要素があります。 犬類猫類との出逢いです。 彼らの散歩は、飼い主と一緒で、時刻もコースも同じですので、逢おうと思ったら時間帯を合わせるだけでいいのです。 お気に入りのコースの中でも、特に頻繁に通ったのは、ハラベエさんが仮に(南行池巡りコース)と名付けているそれです。 住まいを中心に東西南北の四方向、つまり東は吹田市西は豊中市内から伊丹空港にかけて、北は箕面市の旧ミヤコ蝶々邸辺りから箕面の滝、南は緑地公園から地下鉄御堂筋線が北大阪急行に連絡する江坂界隈です。 これにハラベエさんなりのランドマークを付加して、独自の「千里散歩地図」が七分通り完成していました。 その中でも特撰コースとした数例のうち,一例だけ犬類猫類とは関係のないコースもあります。 (豊中ともだちコース)です。 千里から豊中市内に入って直ぐ、右折して市内の最高地点である島熊山に向かうと、その道沿いにハラベエさんの胸を擽る想い出の場所があります。 元花登筐邸と旧大塚克三邸です。 花登さんは年配の方ならご記憶でしょう。テレビの →番頭はんと丁稚どん『番頭はんと丁稚どん』などのコメデイに始まり『あかんたれ』(現在も再放映中)などの根性ものから『細腕繁盛記』に至る人気番組の作者であり、舞台では東京・名古屋・京阪の一流劇場で、三波春夫などの著名な歌手や俳優を座長とする公演の脚本・演出を担当して、一時は複数の劇場の掛け持ちで文字通り東奔西走する売れっ子ぶり、加えて雑誌の連載小説まで引き受けて多忙を極め、利用していた新幹線の車内で、鞄を机代わりに原稿用紙にペンを走らせる姿を目撃された方も多いことでしょう。 『頭で書いてたら間にあわん……手エが勝手に書きよる』 と、劇場公演のパンフレットに、不遜とも思える言葉を書いてましたが、出来上がった原稿はペンのスピードを物語って判読不能でした。 原稿用紙の升目には、ペン先でつついたような、文字とも記号とも突かぬ文章の羅列でした。 何しろ書いた本人にも読めないんです、他人が読めるはずがありません。 テレビや演劇の台本を作製する印刷屋さんに、この難作業を楽々とこなす名人がいて、彼の判読を土台にして台本が完成するのです。 時間に余裕があるときはそれですみましたが、印刷屋に廻す時間がないこともあり、稽古の当日、俳優の顔を揃ったところに生原稿が届くこともあります。 公演の初日も間近とあって主要スタッフ・キャストの間に溢れる焦燥感を和らげるため生原稿のコピーが配布され、俳優はそれこそ手探り状態で役柄を掴もうとしますが、判読不能でしたから大変です。 そこに登場するのがハラベエさん。 本人が発する「……なんで書いたわしよりよう読むねん」という言葉に調子づいてた若いハラベエさんですから、判読作業に夢中になったのも一度や二度のことではありません。 初めは島熊山に新築された花登邸は中国道の工事で立ち退きになり、少し下ったところに二軒目が建てられましたが、後日その花登邸を辞する際、台本が詰まったダンボールを抱いた彼に「つこてや」と渡されました。 『番頭はんと丁稚どん』の使用済み台本でしたが、今もハラベエさんの書架の一隅に鎮座しています。 その後、数多くの作家・演出家の助手としてお手伝いをしたハラベエさんの記憶に残る人は、商業演劇の世界で初めて座長と仰いだ九州は大分県豊後高田出身の石井均さんと、生涯、いやこれからも師として尊崇するであろう曽我廼家十吾さん、長い間仕事を共にしたミヤコ蝶々さんですが、このお三人に関してはまた改めてページを費やす予定です。 この業界に多くの天皇が存在しますが、菊田天皇、川口天皇とはご縁が無く、唯一多かったのが北条天皇こと、北条秀司さんの仕事です。 『太夫(こったい)さん』『顔役』『閣下』『華やかな夜景』や『狐狸狐狸ばなし』などですが、『こったいさん』の先代 →中村鴈治郎中村雁治郎さんを除けば、 →曽我廼家明蝶曽我廼家明蝶さんが主役の芝居で、この方もよく可愛がって下さり、自宅にもしばしばお邪魔しましたが「おやじ」といった存在でした。 『狐狸狐狸ばなし』は、名古屋の御園座公演で、明蝶さんの他に伊藤雄之助・浪速千栄子といった顔ぶれでしたが、いずれも異色の実力者、火花を散らすいい舞台でした。 伊藤さんは、大阪道頓堀の中座でご一緒した仲ですが、マネージャーもなかなかの好漢で、その頃富士山を望む地に墓地を購入したと嬉しそうでした。 公演中もこまめに伊藤さんの面倒を見、名前の小野に引っかけて何かことがあると「オー、ノー!」と外人風の身振りを連発したものです。 この小野ちゃんは、東京から来ていた伊藤さんの大事なお客さんを、車で東京に送る途中、御殿場辺りで対向車と激突、とっさに助手台のお客さんをかばって、自分だけ命を落としたそうです。 この月、伊藤さんの周辺では、異変が続発していました。 最初が腕時計の紛失、二度目が付き人の女の子が階段で転んで骨折、三度目がなければいいなあと思っていた矢先もたらされた、悲しい森ちゃんの死の報せでした……父や母のために買った墓へ、自分がいち早く入り富士山を眺めている小野ちゃんです。 おっと、思い出話にかまけて、横道し過ぎました。 次章は、(豊中ともだちコース)締めくくりに、ある著名な喜劇俳優の邸宅にまつわる話少々と、(南行池巡りコース)のお話です。 →ハラベエさん徒然草ヘ〜 ☆【第0部】【1P】 ☆【第一部】【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】【8P】【9P】【10P】【11P】【12P】 ☆【第二部】【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】【8P】【9P】【10P】【11P】【12P】【13P】 ☆【第三部】 【1P】【2P】【3P】【4P】【5P】【6P】【7P】【8P】 ランキング参加中 ポチっとお願いします〜(*´д`*)ノ くる天 人気ブログランキング フルーツメール | |
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