ウクライナ戦争歴史哲学の視点から | |
[政治] | |
2023年3月11日 16時5分の記事 | |
歴史哲学講義でへ-ゲルは事実そのままの歴史ではなく、また反省が加えられた歴史でもなく、思考によって歴史をとらえる歴史哲学を述べる。それは理性が世界を支配し、世界の歴史も理性的に進行するというものである。もしもへ-ゲルがウクライナ侵攻をどう評価し考えるかは興味のあることであるが。 世界史の本体は精神であり精神の発展過程であるという。その精神の実体・本質は自由であるという。そのような推論からして、ウクライナ侵攻の精神的発展過程は自由を目的とし一局的西側文明の支配からの自由、具体的にはナチズムへの大祖国戦争、その精神面は提示されているかのようでもある。 この自由を実現する手段は私的な欲望情熱利害だという公共の目的善意祖国愛など二の次だという。プ−チン氏と重なって見えるのはどうだろう。 へ-ゲルはカエサルを例に挙げ、三頭政治を覆し、専制政治となしたのはロ-マ史と世界史の必然的方向性を示しているとし、彼の特殊な利得に合致するだけでなく時代の趨勢に合致した本能的行動だとする。(三頭政治では収まりがつかなかったのも事実)。それらは時宜にかなった洞察力によるという。 ままよ、すべからく世の人々は大いに洞察力を凝らして、観察しなければならないところだろう、G7のみが世界の主流か? アジアアフリカなど印はどうか。 歴史という屠畜台において、戦闘における地獄絵図のような光景も歴史の究極目標のための手段化するという。 歴史における精神が世界の中の悪を説明し支配し克服していくという認識に立たなければならないというのだが。果たして。
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