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第一章 降臨 第一節
[JUNK GREEN]
2010年7月27日 14時33分の記事



「ここに来るのも5年ぶりか……」
 つぶやきながら、ホームに下りる少年。
 手をかざしながら空を見る。
「元気かな、みんな」
 少年はさわやかな微笑を浮かべながら言う。

プシュー ガタン ガタン ガタン ……

 背後に遠ざかる電車。
 まだあどけなさが残る少年はとても絵になる光景で、物語の始まりにふさわしいワンシーンだった。
「…………」
 電車が行ってしまい、あたりは風が揺らす木々の音だけが残った。
「とか、一度は言ってみたかったが、どうも変な言葉だな」
 少年はいきなり口調を変えた。
「第一、こんな言葉つぶやいてる人間なんて実際に見たこともないしな」
 そうつぶやきながら、彼以外誰もいないホームを抜ける。
「しかし、寂れた駅だな。前はもうちょっと人がいたような気もするが、あんまり覚えてないんだよな」
 そうつぶやきつつ、線路を渡り、駅舎に入る。
 改札には誰もいない。
 改札前に切符回収箱があり、切符はここに入れてくださいと書いてある。
「切符をこんなところに入れるのか? この3620円の高級切符で駅員を平伏せさせようと思ったのに。全く、職務怠慢だ」
 そう言いつつ、駅員室を覗いてみる。電気はついているので誰かはいるのだろう。
 おそらく、昼食中か何かなのだろう。
「大体、どんな用事があろうと、三十分に一度くらいしか来ない電車の乗降の時くらい出てくるものだろう」
 とはいえ、そんなことを誰もいない駅で主張しても何の意味もない。
 仕方がなく、切符回収箱に切符を入れようとして、やっぱり悔しいので、昨日撮ったプリクラを切符に貼った。
「こうしておけば、誰がこの切符を入れたかわかるだろう」
 わかったところでどうなるものでもないが、納得して改札を通り抜ける少年。
 そして、駅の待合室、というよりも改札の脇のベンチと公衆電話があるだけの一角を見る。
 そこには当然のごとく誰もいない。
「あれ? 誰もいないぞ」
 首を傾げる少年。
 そこにいるはずの人物がいない。
 無人のベンチを見る彼は、なぜか怒りがこみ上げてきた。
 早足で改札に戻ると駅員を呼ぶ。
「ちょっと! これはどういうことですか!?」
 少年の怒鳴り声は駅員のいる奥まで響いた。
「は、はい、どうかしましたか?」
 あわてて出てきた駅員。
「誰もいないなんて、これは一体、どういうことですか!」
「申し訳ありません、昼食をとっていたもので……」
 駅員が申し訳なさそうに答える。
「あなたのことはどうでもいいんです!」
「は?」
 少年が訴えかけるように言う。
「ほら見てください」
 待合のベンチを指差す少年。
「誰もいないじゃないですか!」
 泣きそうな声の少年。
「……はい?」
「俺はこれからどうしたらいいんですか!」
 叫ぶ少年の目から光るものがきらりとこぼれた。
「いや、どうすればと言われましても……」
 人のよさそうな、そして気の弱そうな駅員は困った顔で少年を見る。
「五年ぶりの町を一人で歩けと言うんですか」
「ああ、別に次の電車まで一時間以上ありますので、場所が分かるなら送ることも出来ますが……」
 どこまでも押しに弱そうな駅員が答える。
「そういうことを言ってるんじゃありません!」
 少年は改札を両手のひらでバンバン叩きながら言う。
「いとこの瑞希はどうしたんです?」
「は?」
「迎えに来てるはずの瑞希ですよ!」
 少年はブンブンと手を振り回して言う。
「いや、そんなこと言われても……。って瑞希って、織田さんのところの瑞希ちゃん?」
「そう、その瑞希。って奴を『ちゃん』付けですか? あいつに『ちゃん』なんていらない! どうしてもつけたければ『ちゃんこ』を付けなさい! あと、駅のホームに『ハトのフンに注意』と張り紙をしておきなさい!」
 少年の叫びが駅構内に響く。
「ぜ、善処します」
 勢いに負けて答える駅員。
 少しだけ満足そうにうなずく少年。
「えっと……もしかして、孝昭君?」
 後ろから少年の名を呼ぶ声。
「あ、瑞希ちゃんこ」
 ほっとした声のどこまでも律儀な駅員。
 孝昭と呼ばれた少年が振り返ると、そこには高校指定と思われるブレザーを着た少女が立っていた。
 肩よりも少しだけ伸びた髪。
 透き通りそうなほど白い肌。
 苦笑いをしている整った顔立ち。
 都会の少女たちのような派手さはないが、美少女と呼ぶに十分適っている姿。
「……ちゃんこ?」
 不思議そうに少年、孝昭を見返す瑞希。
「俺の名を知っているとは、貴様、何者だ」
「だから、ボクだよ、瑞希だよ」
 孝昭はそう説明する少女の顔をじっと見る。
 純朴な少女の姿に、中性的な声と言葉遣い。
 彼の知っている五年前の瑞希をどう成長させてもこうなるとは思えなかった。
「……そうか、そういうことか」
 彼はおもむろに後ろの駅員を振り返る。
 駅員は、こそこそ奥へと戻ろうとしていた。
「すみません、偽称している人がいます。警察に連絡してください」
「どうしてそうなるんだよっ」
 怒鳴る瑞希に対し、戦闘の間合いを取る孝昭。
「貴様は誰だ。俺のいとこに化けるとはなかなかやるが、瑞希がどんな人物か調べるのを怠ったようだな」
「だからあ……」
「貴様、CIAか? ふっ、俺に手を出さなければ長生きできたものを」
 孝昭は不敵に笑う。
「孝昭君、CIAに狙われるようなことしたの?」
「アメリカ前大統領の名前の後ろに『マン』をつけた言い方を広めた」
「それは、民族差別用語になっちゃうねえ。でも、それくらいじゃCIAは動かないと思うよ」
 瑞希は軽くため息をつきながら言う。
「語るに落ちたなエージェント。何故CIAと無関係の人間がそんなにCIAの内情に詳しいのだ? ありえない!」
「内情って……」
 瑞希の目は徐々に疲れを帯びる。
「ええい、黙れ下郎がっ! 貴様にとくと聞かせてやろう。瑞希が一体どんな奴なのか」
 孝昭は間合いを計りつつ、言葉を続ける。
「奴はな、真夏に突然焚き火をしようと言い出し、強く止めた俺と二人で山中の空き地で始めたところ、周りの木々に燃え移って山火事になりかけた。その時、一人でさっさと逃げた薄情者だ!」
「えーっと、そんなこともあったねえ……」
 瑞希は頭をかく。
「その後俺がどれだけ叱られたことか……消防団員の家一軒一軒回って頭下げさせられたし」
 孝昭はその時のことを思い出し、涙した。
「更に奴は、港に俺と行き、俺が泳げないと知った瞬間、ノーモーションで俺を海へ突き落とした冷酷非情な奴だ」
「……それは、子供のころのことだから……そうやって泳げるようになればいいなって思ったんだよ」
「あの時、偶然漁師さんが通りかかっていなければ今ごろ俺は……」
 そう言うと、やはり昔を思い出し、さめざめと泣く孝昭。
「で、でもあのおかげで泳げるようになったんだよね」
「そりゃ、いつ突き落とされるか分からないと思えば死に物狂いで覚えるっ! って、何で貴様がその事実を知っている?」
 いつのまにか取るのを忘れていた間合いを再び取りつつ、孝昭が言う。
「だから、ボクがその瑞希だからって言ってるんだよ」
「……本当に?」
 孝昭がじっと瑞希を見つめる。
 そのむっとした時の顔は、五年前に見たことがあった。
 そうして見ると、その顔に五年前の面影をいくつも見ることが出来た。
 確かに、五年前の瑞希はとんでもない悪ガキだった。
 だが、整った顔をしていたのも事実。
「ま、まさか……」
 目の前に立つ、少なくとも一見は可憐な少女と五年前の、クソガキの代名詞だった瑞希。
 その間の距離は、遠く隔たり過ぎていた。
「み……ずき?」
 絶句してしまった孝昭が何とかその言葉を搾り出す。
「久しぶりだね、孝昭君」
 瑞希が微笑む。
 五年前には、手がつけられないほどの悪ガキだった瑞希の変わり果てた姿。
 それがこの町に来ての初めての驚きだった。

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「終わったな。何もかも……」
 俺は荒野に一人、立っていた。
 そこには、何もなかった。
 人々の生活も、幸せも、何もかも。
 ただ、瓦礫だけが荒野を包んでいた。
 それが唯一の、かつて人が住んでいた証でもある。
 かつて、そこには町があった。
 田舎町で、とても不便なところだったが、人々が暖かい町だった。
 俺がとても愛した町だった。

 俺は、結局何をしたのだろう。
 俺はただ、この町を守りたかっただけのはずなのに。
 だとしたら……。
 俺のしたことは一体何だったんだろう。
 命をかけて、守りたいもののために戦い、そして守ることが出来ず、のうのうと生き残っている。
 これが俺の望んだ結果なのか?
 瓦礫を目の前にして、守りたかったはずの町の残骸を目の前にして、俺はそう問わざるを得なかった。
 誰への問いだろうか。
 神か? 自分か? それとも死んでいった仲間たちか?
 その答えは空虚に消える。

 虚しい。
 何もかもが虚しい。
 俺は結局全てを失った上に、何も手に入れることが出来なかった。
 どこをどう間違えたのだろう。
 俺はこの町に初めて来た日のことを思い出す。
 あの日、誰がこんな結末を予想しただろうか。
 帰りたい。
 あの頃に戻りたい。
 まだ何も失っていなかったあの頃に。

 俺はそう願った。
 願うしか、なかった。







「孝昭君、孝昭君ってば!」 
 突然体が揺すられる。
「……ん?」
 気がつくと、孝昭は屋根の下にいた。
 目の前には、いとこの瑞希。
 困った顔をして孝昭を覗き込む瑞希がいた。
「ここは、あの日の駅……?」
 孝昭が辺りを見回しながら言う。
「あの日がどの日かは知らないけど、ここは駅だね」
 瑞希は彼から離れ、首を傾けながらそう答える。
 長い髪が宙を舞う。
 それが、昔の瑞希からは想像も出来ない女の子っぽい仕草だとか、そんなことはどうでもよかった。
「帰ってきた……? そうか、俺は帰ってきたんだ! 願いが通じたんだ!」
 孝昭はやたらミュージカル調に喜びを表現した。
「……? おかえり」
 瑞希がとりあえずそう答えた。
「現実逃避してるところ悪いけど、そろそろ家に行かないと暗くなっちゃうよ」
「暗く……?」
 そう言われた孝昭が辺りを見ると、すでに夕暮れの紅い空の色だった。
「……あれ? 俺、昼過ぎにここに来たんだよな?」
「そうだよ。でもなんだか突然、動かなくなって。さすがに空が紅くなってきたから起こしたんだよ」
 瑞希が言う。
「夕方まで? なんで今まで起こしてくれなかったんだよ」
 孝昭は今まで長い間見てきたものが、ただの現実逃避だったと、やっと気付いた。
「起こしたよ、一応は。でも起きなかったし。何だか面白かったからそのままにして見守ってたんだよ」
「面白かったって、何だよ」
 孝昭が訊く。
 瑞希はくすくすと笑う。
「『自分、不器用すから』とか『死んで、もらいやす』とか。ヤクザものの夢でも見てたの?」
「ああ、それは第三議会と対立した新塩川派が殺人工場を建設したことが発覚した辺りだな」
 孝昭は逃避してみた夢を思い出しながら言う。
「……ごめん、今の、一言も意味が分からなかった」
「つまり、第三議会は裏で長老衆をまとめ上げようとしていて……」
「いや、詳しく解説して欲しいわけじゃないよ」
 瑞希は孝昭の言葉を止める。
「ん……よいしょっ」
 そして、孝昭の荷物を持ち上げる。
「それじゃ、早く帰ろ」
 そういう瑞希の背中に赤い夕陽が輝く。
「うむ。それじゃ、ミーを案内してたもれ」
「なんか、違和感のある言い回しだね」
 そう言いながら、瑞希はすでに本当に無人駅となった駅舎を出る。
 孝昭がそれに続く。
「あ、こら、お前俺のバッグを持って行くな」
「え、ああ。孝昭君は疲れてるんだから持ってあげようかと思って」
 瑞希がバッグを振りながら言う。
「さっき十分休養は取ったんだがな」
「うん。でも、今日は持たせてよ。歓迎の証に」
 瑞希は少し嬉しそうにそう答える。
「そんな事言って、本当はかばんの中に入っている、俺の大切なセンターマン変身セットをあわよくば奪う気でいるな? か、返せ。それだけはっ」
 孝昭はバッグを奪い返す間合いを取る。
「……孝昭君が変身セットを使おうとしない限り、奪う気はないよ」
 瑞希があきれた口調で返す。
「…………よかった」
「……泣くようなことなの?」
 孝昭の嬉しそうに泣く顔が、本当に幸せそうなので、瑞希はそれ以上何も言えなかった。
 黄昏の町を二人の足音だけがあたりに響く。
「で、どうしてそんなに変わってしまったんだ?」
 孝昭は瑞希と再会した瞬間からずっと疑問に思っていたことを訊いてみた。
「いろいろとあったんだよ」
「並大抵のいろいろじゃそうはならないだろ」
 孝昭は子供の頃の瑞希を思い起こし、その変貌の大きさを思い、言った。
「うーん、そう見えるかもしれないね。でも、ボクは基本的には何も変わってないんだよ」
 瑞希は言う。
 その表情は、闇に覆われ始めた今となっては孝昭には伺うことが出来なかった。
「ただね。見た目を思い切って変えてみただけなんだ。そうしたら周りの見る目が変わって、ボク自身がそれにつられて変わって、こうなっただけだと思う」
「そんなものなのか?」
「そういうものだよ。昔を知ってて、変わった頃のボクを知らない孝昭君には驚くことだと思うけど」
 瑞希は笑いながら言う。
「ところで、瑞希は学校帰りに駅に来たんだよな?」
 よく見ると瑞希は孝昭の荷物だけではなく、学生カバンを持っていた。
 それだけの荷物を持って、平気な顔をしているのは確かに昔の瑞希そのものだろう。
「うん。今日は土曜日だからね」
「何? ここの学校は土曜にも授業があるのか? いやまあそれはいい。いや、よくないが、捨て置けないが、横に置いておくとして」
 孝昭が道をあちらこちらと移動する。
「で、何なの?」
「ああ、お前、そんな格好で学校へ行って、何も言われないのか?」
 孝昭は聞く。
 紺のブレザーは特に派手さもなく、スカート丈もソックスも常識的な範囲内だった。
「うーん、特に何か言われたことはないけど……そんなに派手かな、このリボン」
 瑞希は頭につけた純白のリボンを自分の手で触れる。
「いや、そういう問題じゃなくてだな……」
 孝昭が眉間を押さえる。
「どういう問題?」
「………………」
 孝昭は瑞希の質問に答える前に、どうしても確かめたいことがあった。
 それはさっきからずっと感じている違和感だ。
 当たり前のことが当たり前のことなのか、変わったことなのか。
 一体どちらが常軌を逸した言動をしているのか。
「なあ、瑞希」
 孝昭が口を開く。
「俺、昔のこと、結構忘れてるから自信ないんだが……」
「何?」
 瑞希が振り返る。
「違ってたら悪いんだが……」
「どうしたの?」
 孝昭をのぞき込む瑞希。
 長い髪がその動きに揺れる。



「お前、男だよな?」
 孝昭がその、根本的な疑問を放つ。
「今更何言ってるんだよ、決まってるじゃない」
 瑞希がおかしそうに答える。
「そうか……そうだよな。ちょっと自信なくてな」
 孝昭は軽く放心した状態で答える。
「変な孝昭君」
「いや、変なのはむしろ……」
 お前だ、と言おうとした。
 だが、それが何の意味も持たないことに気付く。
 それに自分が変である自覚も若干あった。
「何でもない」
 男が女の格好をしていてはおかしいかどうかは、あくまでその属する集団の主観だ。
 ここにいるのは自分と瑞希の二人。もし二人がおかしいと思わなければ、これはおかしい事態ではない。
 それなら逆に、瑞希がセンターマンの変身セットを変と思いさえしなければ。
「なあ、瑞希、女装してるお前なら理解してくれると思うが、センターマンの衣装は着ても……」
「駄目」
 瑞希は間髪いれずに答えた。
 センターマン衣装に世は冷たい。

 夕暮れは最後の紅を消そうとしていた。

「ただいまあ」
 玄関を開けた瑞希が言う。
「おかえりい」
 家の奥から出てきた孝昭が言う。
「え? 孝昭君? あれ? ずっとボクの後ろにいたんじゃ……」
「ダッシュで裏口に回ってきた」
 孝昭は胸を張ってそう答える。
「……どうして、そんな事するの?」
「風に聞いてくれ」
 孝昭は少しアンニュイな顔をして言う。
「風邪に効いてくれ? 孝ちゃん、風邪ひいたの?」
 孝昭の背後から声がする。
「わあっ!」
 孝昭がとても無様に驚き、倒れる。
「あら、驚かしちゃったみたいね。大丈夫? そんな無様に寝転んでるといい男が台無しよ」
「無様じゃないもん!」
 孝昭が涙目で立ちあがる。
「ただいま、お母さん」
「あら、おかえり」
 にっこり笑って答える彼女。
「あの……どうして孝昭君がお母さんをお母さんって呼んでるの?」
 いまだ玄関口で立ち尽くしていた瑞希が言う。
「気にするな」
 何故か威張ってそう答える孝昭。
「息子が出来たみたいで嬉しいわ」
「あんたには息子しかいませんがな」
 笑いあう二人。
 呆然とする本当の息子。
 彼女の名前は美恵子。瑞希の母でありこの家の主婦だ。
「じゃあ、これから自分の家だと思ってやっかいになりますから、よろしくお願いします」
「孝昭君、そういうのは自分から言うものじゃないと思うよ。……別に自分の家のように思うのは嬉しいけど」
 瑞希が疲れた顔で言う。
「あら、いいじゃないの。ところで孝ちゃん、大きくなったわねえ」
「特に人間の器が、ですか」
「…………」
 それはあんまり変わってないと瑞希は思ったが、言っても無意味なことに気付いたので黙っていた。
「ボクはもう、疲れたから部屋で休むよ。晩御飯になったら呼んでね」
 孝昭の荷物を孝昭に渡し、瑞希はとぼとぼと階段を上って行った。
「おう、瑞希、今日はありがとうな」
「うん」
 孝昭が言うと、瑞希は力なくそう答えた。
「さて、それじゃ部屋に案内するわね」
「はい。麿を案内してくださいアル」
「ホホホ、面白い子」
 そんな会話を交わしながら、二人は瑞希の上がっていった階段を上がる。







「うー、死ぬぅ」
 孝昭はベッドの上で悶えていた。
 先ほど夕食をご馳走になったのだが、その量は尋常ではなかった。
 いや、おかずの数こそ普通なのだが、一つのおかずの量が孝昭の常識を遥かに逸していた。
 少なくともデザートにスイカ一人一個の家庭を孝昭は知らない。
 これも孝昭を歓迎してくれていると思うと残せず、また、孝昭は出されたものは残さず食べなさいと教育されているのであまり残せない。
「や、やばい、本気で死にそうだ……」
 孝昭はかなり暴れながら、ベッドから降りた。
 降りたというより、落ちたというに近いかもしれない。
 そのままごろごろと部屋を転がり回って腹ごなしの運動をしてみた。
 だが、それはあまり役に立たず、どちらかというと、気持ち悪くなった。
「うう……刻が見えてきた……」
 孝昭がうめく。
 端にかためられた荷物とベッドと机以外何もない部屋で悶える孝昭。

 こんこん。

 そんな時、誰かが部屋のドアをノックした。
「……入ってます」
 うめきながらも、答える孝昭。
「入ってるのは分かってるよ。ボクだよ、瑞希だよ。入っていい?」
「…………」
 ボケは返したものの、一般的な会話を返す気力はない孝昭。
「……? 入るよ」

 かちゃ。

 ドアを開けて入って来た瑞希が見たものは、部屋の中心で悶える孝昭だった。
「え? あれ?」
「……俺が死んだら……光に満ちた……丘に……埋めて……く……れ……」
 孝昭が息も絶え絶えに言う。
「え? ええ!? ちょ、ちょっと孝昭君!?」
 瑞希が駆け寄る。
 孝昭が力を抜く。
「……もっと、光を……」







「ふう、大分楽になったな」
 孝昭がベッドに寝そべりながら、一息つく。
「…………」
 瑞希は無言でベッドに座っていた。
 不機嫌さを隠そうとしない表情はじっと孝昭を見ている。
「ん? どうした、その呆れつつ怒っているような目は」
「呆れつつ怒ってるんだよ」
「お前は短気だなあ。その辺、昔のままだな」
 孝昭が言うと、瑞希は諦めたようにため息をつく。
 瑞希は普段着も女もののようだ。
「多分、ボクは短気じゃないと思う。けど、そんなこともうどうでもいい。あと、お母さんの料理は全部食べなくてもいいから」
「そうなのか? 中国みたいにうまいものは神にささげるためちょっと残すのが礼儀なのか?」
「そんなんじゃないけど」
 少しだけ開いた窓から風が入る。
 瑞希の髪がわずかに揺れる。
「そうか。ならよかった。中国行ったときみたいに恥かいてたところだ」
「孝昭君、中国に行ったことあるんだ」
「まあな。こだまで一駅だったからよく行ったもんだ。在来でしか行かせてもらえなかったが」
 話ながら、孝昭がベッドに上半身を投げ出す。
「……ボク、あんまり東京付近の事知らないけど、それは横浜中華街のこと?」
「そんな些細なことより、どうしたんだ? 何か用があって来たんじゃないのか?」
 孝昭は起きあがって、瑞希の横に並んで座る。
「うん。あ、別に大した事じゃないんだけど。様子を見に来るついでに話をしたいなと思って」
「話?」
 孝昭は再び起き上がる。
「うん」
 瑞希は微笑みながら孝昭を見る。
 孝昭はあまり何も考えなかったが、家に同居する人間が一人増えるということは、大きな喜びと大きな迷惑が伴うことだろう。
 瑞希はどうやら、喜びが大きいようだ。 
「うむ。よかろう。この私に何でも聞きたまえよ」
「別に何かを聞きたいわけじゃ……ああ、それなら、ひとつ訊きたいことがあったんだよ」
 瑞希が思い出したように言う。
「孝昭君はどうしてここに来る事になったの」
「ああ、親父が海外赴任になったからだ」
「うん、それは知ってる。でもついて行かなかったのはどうしてかな、と思って」
 瑞希は首を傾げながら言う。
「知らん。何だか治安のあまり良くないところだかで、俺が行くと射殺されるからだそうだ。何で俺限定で射殺されるのか、しかも決定事項なのかは知らないが」
「……あ〜」
 瑞希は納得したようにうなずく。
 いかにもヤバそうな外国人を激怒させる孝昭を、とても容易に想像できるからだ。
「ま、俺も受験とかあるしな。高二だから、今から行っても帰国子女とも呼べないだろうし」
「そうだね。でも、いいの? 孝昭君、進学校に行ってたんでしょ。こんな田舎の高校に来ると成績落ちるんじゃないの?」
 瑞希が首を傾げる。
「大丈夫だ。俺はマイペースだから」
「……うん」
 それは理由にもならない理由だが、孝昭なら十分理由になりうる。
「それにここは科学推進地域だろ?」
「うん。衛成博士っていう世界的な科学者の人がいるから、科学者の町として、理数系の教育水準を上げてるって話だね。ボクはここしか知らないし、理数苦手だからよくは分からないけど」
 瑞希が説明する。
「俺は理系だからな。こういう町はうってつけではある」
「そうなんだ」
「ああ。親父達は三年は戻ってこないからな。少なくとも大学入学するまでの二年近くは世話になるつもりだ」
 孝昭は部屋の中を見回す。
 何もない部屋は、孝昭にはまだ広すぎた。
 これから二年間でここにどれだけのものが入るのだろうか。
「じゃ、とりあえず二年間よろしく」
 瑞希は自分の右手を差し出す。
 孝昭はそれを無視する。
「……?」
「俺は利き腕を人には預けない」
 自称渋めの顔を作ってそう答える孝昭。
 どちらかといえば瑞希と同じ血の可愛い系の顔をした孝昭にはその表情は合わなかった。
「こういうのは利き腕を預けるから意味があるんだよ」
 瑞希はそれでもひるまずに手を差し出す。
「分かったよ」
 孝昭はあっさり手を差し出す。
 二人の手は、お互いの手に握られた。
「えへへへ……」
 瑞希は嬉しそうに握られた手を上下に振る。
 孝昭は何かボケをかまそうかと思ったが、そんな瑞希を見て、しばらくやめる事にした。
 窓の外から涼しい風が入ってくる。
 まだ少し早い虫の音が聞こえてくる。
「明日、休みだから、このあたりを案内しようか」
 瑞希が手を握ったまま言う。
「うむ。案内してたぼれ」
 一分と持たなかった。

 この町での初めての夜は更けていく。

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