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巨艦巨砲主義の幻想
 
2019年8月12日 9時39分の記事

戦艦大和、大和型二番艦の戦艦武蔵、遅ればせの大和型三番艦の空母信濃、いずれも対米戦争でほとんど戦果に結びつかず、国力でかなわない米国相手の無謀な戦争でむしろ虚しさの象徴にすらなっている。しかし、巨艦巨砲で有利に勝てると思う愚かさの象徴か。
 
 戦争は政治の延長(クラウゼヴィッツ少将・戦争論)で、帝国主義間の不均衡発展均等化植民地争奪の過程の戦争であったであろう。たいへんな巨費を投入して軍艦空母を建造して総力戦としての国民皆兵、いかほどの目指す有利な国家間講和条約を結べたというのだろう。

 300万人もの戦死者いまだ遺骨は戻らず、B29による東京大空襲はじめ焼き殺され二発の原爆投下、犠牲者の規模だけですでに負けである。有利な条約など出てこない。

 戦争で競り勝つなど、相手も必死である、巨艦巨砲で勝つなどどこか幼稚さのなかに愚かさを感じないではないか。

 戦争を起こすのは常に時の内閣である。戦争指導者は転換点となったミッドウェー海戦で空母のほとんどを失ったときも航空母艦戦の専門家もつけず素人に旗を振らせている。敗戦会議もわら半紙一枚で済ませている。無責任の戦争遂行。

 官の無責任は当時からあったということか。くれぐれも官の領域を増やしてはならない。国民主権のなすべき業は民の領域を守り抜くことにあるように思われるではないか。
 
 

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