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第一節 逃亡
[蒼の日々]
2010年6月24日 8時38分の記事



 空が青ければ青いほど、許せなくなる。
 別に空が憎いわけではない
 ただ青が憎いだけだ
 空が青いというだけで
 空をこの世から消したくなる。
 そんなことは出来るはずもないのは分かっている。
 だから俺はその空の下で足掻き続けるしかないのだ。
 たとえ、誰かを傷つけようと。

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 疲れた。
 何となくそう考えた。
 実際は疲れたなんてもんじゃない。
 どっちかと言うとランナーズハイ全開で妙な開き直りと、徐々に体が不自由になっていく過程を襲う恐怖が戦っていたんだが。
 とにかく俺は無我夢中で走っていた。
 逃げ切らなければならなかった。
 そう、逃げ切らなければ何もかも終わりだ。
 てか、もうとっくに終わっていた。
 問題は再起出来るか出来ないかの段階だ。
 一言で言うと失敗の清算中だ。
 くそっ、言ってて腹が立ってきた。
 俺の計画に何かミスでもあったってのか?
 ………………。
 ……ふん、どうせミスだらけだろうよ。こっちは一人でやってるんだ。
 どこに穴があったか?
 そんな考えをまとめている暇なんかあるか。
 俺だって自分の間抜けさ加減に参っているところだ。
 それに結局、どう考えてもただ、行き着く先は運が悪かった、となるだろうしな。
「…ハァ、ハァ、ハァ………」
 まずい、息が切れてきた。
 しっかし、夕暮れ時の街なのにどうしてこんなに人通りが少ないんだ?
 本当にここには人が住んでいるのか?
 奴らが俺を騙して仮想の街に逃げ込ませたのか?
 俺を捕獲するために、町である事を装った建物を用意。
 そんなわけあるか。
 奴らもそんなに暇じゃないはずだ。いや、暇そうって言えばとことん暇そうな連中だが。
 多分、俺が逃げていることがここら中に広まってて、家の中にこもってるんだろうな。
 しかし、これじゃ、人の波に隠れることも出来ない。
 とりあえず、夜だ。
 夜になれば闇に紛れることも出来る。
 この、一日中続いた逃亡も、ひとまず休止することが出来る。
 とは言え、町の出口は全て奴らが張ってやがるだろうしな。
 この町、中州だしな。
 気付かなかったわけじゃないが、他に逃げ道がなかった。
 まさか、こっち側に逃げてくることになるとは考えてなかったから、調べてなかった。
 逃走経路くらい複数用意しておけと自分に言い聞かせてみる。
 反省点だけで論文が書けてしまいそうだ。
 ともかく、しばらく町を出ることは出来ない。
 夜までどこかで身を潜めなければ。
 俺は、立ち止まり、辺りを見てみる。
 平凡な町並みだな。隠れる場所と言えば、民家のゴミ箱か、物置くらいだろう。
「いたぞ!待てっ」
「お前らはあっちから回り込め!」
「おう」
 後ろから怒号が聞こえる。
「やべっ!」
 同じ服を着た奴らの姿。
 通りにはもう行き場はない。
 となると……。
「ここかっ」
 俺は狭い路地に入る。ここが袋小路なら終わりだが、このまま通りを走っていては確実に終わりを迎える。
「あの路地に逃げ込んだぞ!」
「追え!」
 後ろからは容赦なく怒号が飛ぶ。
 真剣にまずい。
 俺はもう、体力の限界だ。心臓が物凄い勢いで脈打っている。
 強烈に酸素を欲しがる体に激しい呼吸が対応するが、もう追いついてはいけないようだ。
 俺の体に酸素が不足している。
 今なら、奴らだけではなく、一般の市民にすら捕まってしまうかもしれない。
 もう事件のことはこの町中に広がっているだろうな。
 さすがに、俺の風貌までは知らないだろうが、奴らに追われているという時点で俺が犯人ではないか、少なくとも何らかの事件を起こしたのではないかとわかるだろう。
 この「平和」な町で大それた事件など、他にはないだろうからな。
「待て!」
 まずい、このままでは奴らに追いつかれる。
 こう、後ろから来られてはゴミ箱に入ってもすぐに見つかるだろう。
 俺は路地を突っ切って通りに出た。
 夕暮れの紅い陽が俺の影を道路に伸ばす。
 風のない通りに一陣の風を作る。
 再び別の路地に飛び込む。
 こうしていれば、しばらくは奴らから逃げることが出来るだろう。
 多分。
 とにかく、もうすぐ町は暗くなる。そうなれば、いくらでも隠れようはある。
 くそっ、足がそろそろまともに動かなくなってきた。
 俺は朝から晩まで走り続けることは慣れているが、今日は全力疾走だったからな。
 何とかやり過ごす方法を考えなければ……。
 畜生、こんな状態で名案が浮かぶわけがない。
 俺は誰もいないのを確認して、路地から通りに出る。
 立ち止まり、奴らの声や足音を探る。
「ハァ、ハァ…」
 自分の呼吸音に邪魔されながらも、あちらこちらの路地から奴らの声を聴く。
 どちらに逃げても、奴らに見つかってしまう。今の足では逃げ切れる自信はない。
……何か、何かないか?
 俺は辺りを見回す。
 夕暮れの町はあまりにも静かだった。どの家もドアを閉ざしてひっそりしている。
 やはり、俺がこの辺りに逃亡していることが知れ渡っているのか? となると鍵が開いているとは思えない。
 開いてさえいればその一つに飛び込んで、住民を脅してしばらく隠れることも出来るのだが。
 いや、今の俺ならその場で倒れて通報されるのがオチか。
 やばい。目がくらんで来た。
「……ハァ、ハァ……あれは……」
 俺は霞む目で町角の大きな建物を見た。
 それは紛れもなく教会だ。
 教会の礼拝堂なら、この時間誰もいないだろうし、隠れるには絶好の場所だ。鍵なんて壊せばいいし、それ以前に、この辺りの大抵の教会は鍵がかかってない。
 俺は辺りに人がいないのを確認し、教会の門をくぐる。
 そして、礼拝堂と分かる建物に走り、扉を開ける。やはり鍵はかかっていない。
 俺は中に入り、扉を閉めると、素早く外を確認した。奴らにばれずにここまで入って来れたようだ。
 とりあえず、ここに隠れていればしばらくは安心だろう。そう考えると今までの疲労が一気に湧き出てきた。
「…ふぅ…」
 俺はその場に座り込み、呼吸の整いを待つ。
 疲労感は筋肉痛はそう簡単に消えなかったが、とりあえずしばらくすると息だけは徐々にだが鎮まってきた。
 寝入ってしまいそうになるのをこらえながら、改めて礼拝堂の中を見る。
 百人位が入れるくらいの椅子と、真正面前には神の像。その両端にはキャンドルが灯っていた。
 礼拝堂などに来たのは一体何年ぶりだろうか。昔はよく来たものだ。
 無邪気に神を信じていた頃は、毎週来ては祈っていたっけな。
 ま、今の俺にとっては教会なんて、ただの隠れ場所に過ぎないわけだが。
 あんなクソみたいな、売り払っても一月のパン代にしかならないような像に祈りを捧げるのは頭の悪い奴らだけだろう。
 そのクソ、いや神の像は如何にも皆さんで崇め奉りましょう、という場所に取り付けられていた。
 その直下に祭壇がある。
 で、その前には……。
「!」
 その神の像に跪き、無心に祈る人間がいた。
 言い換えると物凄い馬鹿がいた。
 一瞬、神の像の一部かとも思えるほど静かに、その場所で祈りをささげていた。
 人の気配に気づかないとは。俺はかなり疲れているらしい。
……まあ一人くらいなら何とかなるかな。
 もう少し我慢しろよ、俺の足。
 俺は立ち上がり、胸元から拳銃を取り出す。
 もう弾は残ってはいないが、脅しくらいには使えるだろう。
 俺は大きく息を吸う。
「動くな!」
 怒鳴ろうとしたが、疲労で声が枯れている俺は、声を出すのがやっとだった。
 そのか細い声に反応して、祈っていた奴は立ち上がり、振り向く。
「はい?」
 響く高い声。
 それは髪の長い少女だった。
 遠く、薄暗いためよくは見えないが、黒い髪と白い肌の好対照が印象的だ。
 神の像の下に立つ少女。
 見る人間が見たら、神々しくすら思えるその姿を俺は睨む。
 そして拳銃を構える。
 その手は疲労で震えている。



「いらっしゃいませ。えっと、どうかされましたか? お祈りですか?」
 少女はあまりにも無防備に、俺に歩み寄る。
「……だから動くなと言ってるだろう!」
「動いちゃ駄目ですか」
「駄目だ」
 俺が言うと、少女は何だかぎこちない格好をして静止する。
 手足を妙に曲げて、どこだか分からないところを見ている。
 何だか、銅像のようというか、子供が動いてないことをアピールしているような妙な格好だ。
「……変な格好してないで普通にしてろ」
 俺が言う。
「普通……?」
 妙な格好をやめた少女が首をかしげる、
「普通と言われましても……。説明していただかないと、わかりませんよ」
 少女が少し困った顔で言う。
 普通、か。
 普通に動くな。
 確かに分かりにくい。
 ただ単に怪しい動きをしなければいいんだがな。
 この少女にどう言ったら分かる? 
 何らかの行動を取らなければいいわけだから……。
 まてよ。何で俺、脅してる相手に丁寧に説明しようとしているんだ?
 ちっ、こいつのペースに乗せられてしまった。
「とにかく動くな!」
「あの、息は……」
「うるさい。黙ってろ!」
 俺が言うと、やっと少女は黙る。
「……」
 少女が苦しそうにこちらを見る。
「…………」
「…………?」
「………………」
「………………」
「…………………!」
「………………あー……」
 涙目の少女に呆れつつ、これは口を開く。
「息は別にいいぞ」
「はあぁぁぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
 少女が勢いよく息をする。
 こいつは一体何なんだ?
 一言喋るだけでかなりの労力を消費する俺をここまで喋らせるとは。
 拳銃持っている俺が怖くないのか?
……なめやがって。
 特に意味はない。
 だが、俺はその少女の態度が気に入らなかった。
「今朝、革命公園で爆弾テロが起きたのは知っているな」
 俺は、彼女に拳銃を突き付けたまま言う。
「え? ……はい。……詳しくは知りませんけど」
 彼女は悲しそうに目を伏せる。
 教会で祈っているような、馬鹿を冠してもいいような少女には、あまり喜ばしい事件ではないだろう。
 その、態度が少しだけ俺を満足させた。
「十分だ。……そのテロを起こしたのは俺だ」
 そう、俺の犯した犯罪はテロ行為。
 革命公園に大量の爆弾を仕掛け、爆発させた。
 実際はその爆弾は半分も爆発せず、公園はちょっとした修復で元通りになる程度で、被害者も死者2人だとさっき隠れていた家のテレビで聞いた。
 俺の目的は公園の完全な破壊とそこにいる人間の皆殺しだったんだが、その目論見は見事に失敗したわけだ。
 更に奴らに見つかってしまい追われるという、間抜けなテロリストに過ぎないが、こんな少女には十分効き目はあるだろう。
「……そうですか……あなたが……」
 案の定、少女の表情が変化する。
 まあ、実際に人を殺した人間を目の当たりにすれば言い知れない恐怖が芽生えるのは必然。
 俺はそれで自分のちっぽけなプライドを満足させた。
「この意味が分かるな? 俺は人を殺すことなんて何とも思っちゃいないんだ」
 俺は少女に凄む。
 だが、その時には既に、彼女の表情は元の表情に戻っていた。
「それはお疲れでしょう。この礼拝堂は今日はもう使いませんから、お好きなように休んでいってくださいね」
 少女が微笑みながら言う。
「はあ?」
 俺は思わず間抜けな声を出す。
 俺はさっき、神に祈るような奴は馬鹿だと言った。
 だがそれはあくまでその行為に対してのみ言っただけだ。
 さて、こいつは根本的にに馬鹿なのか?
 それとも俺を安心させる策略か?
 確かめるべく、俺は前へ一歩踏み出す。
 だが、俺の膝は既に俺の体重を受け止めるだけの力を残してはいなかった。

がくん。

 俺はそのまま前のめりに倒れた。
 足がガクガクと震えてまともに動かない。
 熱いような、冷たいような不思議な感覚が俺の足に走る。
「くっ、くそっ!」
 全くの間抜けだ。格好よく脅そうとして、転んで起き上がれないなんてな。
 脅してしまった以上、少女は俺から逃げ出し、奴らを呼んでくるだろう。
 こんなことなら脅しなどせずに、何とかうまく誤魔化しておけばよかったかもしれない。
 俺は顔を上げ、少女を見る。
 少女が俺に走り寄るところだった。
「だ、大丈夫ですか?」
 高く澄んだ声が夕暮れの礼拝堂に響く。
 その声には明らかに俺に対する気遣いがあった。
 少女が俺の前に駆け寄り、しゃがみこむ。
 夕暮れの陽射しに少女の顔が明らかになる。
 黒い髪が白い肌の上を棚引く。
 比較的大きな瞳が俺を見つめる。
 細い腕が俺の前に伸びる。
「!」
 少女は俺の足の筋肉を掴む。
「まあ、足が浮腫んでますね。激しい運動をされてたんですか?」
 その、少女の弱い握力に俺は悲鳴を上げそうになる。
 信じられないほどの激痛が走る。俺の足の筋肉は自分でも恐ろしいくらいに膨れ上がっていた。
「ってっ、いてっ! うう……なにを……しやがる……」
 本当は怒鳴りつけたかったが、激痛で声が出なかった。
「運動も程ほどにしないと…足が使い物にならなくなりますよ」
 なんだか、少女が見当違いのことを言っているが、それどころではなかった。
 彼女の手はマッサージのつもりか、俺の足をずっと揉んでいる。その度に激痛が走る。
「! ……やめ……! ……いいかげ……! ……うう……」
 まともに声が出せず、のた打ち回ることも出来ず、ただされるがままの俺。
 俺は何故こんなところで、こんな少女に痛い目に合わされなければならないんだ。
 実はさっきの仕返しか?
 俺はやっとのことで少女の手首を掴む。
「……やめ……ろ……」
 俺が痛みを堪えながら言うと、少女はやっと揉むのを止めた。
「……マッサージ以外でも……血行を良くする方法はあるだろうが……」
 やっと痛みが引いてきたので、俺は声を出す。
「そうですねぇ……それでは、手足を暖めるものを持ってきますね」
 少女は激痛に唸る俺のそばで明るく言い、立ち上がる。
「……?」
 俺は顔を上げる。少女はにっこり俺に笑いかける。
「ちょっと待っててくださいね。急いで持ってきますから」
 そう言うと少女は走って礼拝堂を出て行った。
 いや、もしかして適当なことを言って逃げたのかもしれない。
 俺ははっきりとテロリストと名乗ったわけだしな。
 少なくとも2人の命を奪っている事は知っているだろう。
 となればここにいるのはまずい。
 あの少女が外をうろついている奴らを連れてくるのは確実だ。
 俺は立ち上がろうとしてみる。
「……くっ」
 しかし、俺の足は動いてはくれなかった。筋肉を酷使したあと、冷えてしまっては動かなくなる。当たり前のことなんだがな。
 俺は腕を使い、体を引きずりながら出口へと向かう。
 外は既に真っ暗になっていた。これなら闇に紛れて逃げることが出来る。
 俺は何とか扉を開けると、外の様子をうかがう。
 冷たい風が突き刺さる。
 ふと、門の外から足音が聞こえる。
「失礼します。どなたかいらっしゃいませんか」
 若い男の声。
 俺は扉の端からその男を覗いてみる。
 暗くて顔までは見えない。
 だが、その真青な服はその男が俺を追ってきた奴らの一員であることを示していた。
「はーい」
 別の方向から元気な声が聴こえる。さっきの少女の声だ。

たったったったっ

 駆けて来る足音。
「どうかされ……あっ……きゃっ」

ぺちゃっ

 少女の声と共に鈍い音が辺りに響く。
「大丈夫ですか?」
 男が奥に走り、俺の視界から消える。
 どうやら、少女が転んだようだ。
「うう……あ……ありがとうございますぅ……」
 恥ずかしげな少女の声。
 やがて男が視界に現れ、次に少女が現れた。
「えっと、それで、どうかされましたか?」 
 少女が言う。
「実はですね、この辺りに今朝、革命公園を爆撃したテロリストが逃げ込んでおりまして」
 やっぱり俺の件か。
「こちらの教会にも潜んでいる可能性があり、もしやと思いまして。教会内で不審な人物を見かけたり、不審な物音はございませんでしたか?」
 男が少女に訊ねる。
……まずいな。
 俺の足ではもう逃げられない。
 少女が世間ずれしているとは言え、あいつが言っているのが俺のことだとくらいは分かるだろう。
 俺はせめて何とか隠れようと、椅子の下に潜ろうと考える。
 だが、俺の足は、いや、全身はほとんど動くことが出来なかった。
 腕も、完全に疲弊していたのだ。それどころか、意識すら、もう遠ざかりかけていた。
 次の目覚めは監獄の中か。
 くそっ、こんなところで捕まるのか?
 せめてあいつ一人くらいは巻き添いに出来ないのか?
 俺は懐から短刀を取り出した。
 しかし、それは俺に握られることはなく床にこぼれ落ちる。
 幸い俺は寝転がっている状態なので、短刀を落とした音は大きく響くことはなかった。
 とは言え、武器を握れないような俺には、もうなす術はなかった。
 俺はなされるがままに捕まるしかないのだろう。
 俺は、これで懲役がどのくらいか、出てきてもう一度テロを行うまでにどれくらいかかるかを考え始めた。
 少女の声を聞くまでは。
「不審、ですか……? いえ、特にありませんね」
 奴らの仲間に少女が言った言葉は、俺の予想の範疇ではなかった。
 だから、俺は最初、その単純な言葉の意味を理解できなかった。
 あいつは一体、今何と言った?
 俺の耳には不審なものはないと言ったように聞こえたが。
 いや、意識は朦朧としかけていいるが、それは間違いない。
 俺がここにいるのは分かっているはずだ。
 逃げようもないことも知っている。
 あいつの耳が確かなら、俺がテロリストだという事も分かっている。
 嘘。
 そう、あいつは嘘をついているんだ。
 一体、何の目的で?
「…そうですか」
 男は残念そうに言う。
「それでは念のため、礼拝堂を確認してもよろしいでしょうか」
 俺はただ、息を潜めて二人のやり取りを聞く。
 他にはしたくても何も出来ないだけではあるが。
 奴はここを確認したいと言った。
 まあ、当然のことだろう。
 となると、俺は無抵抗に捕まってしまう。
 淡い期待で、彼女が拒否してくれるかもしれない、とも思う。
 だが、もし彼女が確認を拒否した場合、それは奴にはとても不審に見えるだろう。
 となると、是が非でも確認に来るはずだ。
 結局同じか。
 俺はもう抵抗も、逃げることすら出来ない。
 せめて俺を見つけたとき、人違いだと思ってくれることを願うしかなかった。
 外の風が礼拝堂に入り込む。
 俺の冷え切った体に冷気が突き刺さる。
「別に構いませんが……」
 少女が口を開く。
「私、先ほどまで礼拝堂でお祈りをしてましたから、不審人物なんていないと思いますよ」
 少女の声が風に乗って俺の耳に突き刺さる。
 少なくとも、少女が俺を匿おうとしているのは分かる。
 微妙な言い回しだ。
 後はこれを奴が信じるかどうかだな。
「さっき、といいますと、どのくらい前ですか?」
「えっと……、あなたの来るすぐ前までですね。ちょっと必要なものがあって母屋の方に行っただけでしたので」
 彼女が答える。
 確かに間違ってはいない。彼女は奴が来る直前までここにいた。
「……そうですか。まだ、犯人はこのあたりに潜んでいます。戸締りを厳重にしてお休みください」
 男は少し残念そうに肩を落とし少女に一礼する。
 あの男、若い上に実地慣れしていないようだな。
 可能性の低いものを、先を焦るあまりに可能性ゼロに潰さない馬鹿で助かった。
 奴は感謝の言葉と、再度注意を促す言葉を述べると、足早に去っていった。
 少女はその後ろ姿を見送ると、ゆっくりとこちらに向かってくる。
 とにかく助かった。
 俺は安堵に全身の力が抜けた。
 更に意識が遠のいていくのが分かる。
 最後に、少女の顔を見た気がした。
 その顔は何故か、とても悲しそうに見えた。

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